2025年11月7日 星期五

[音樂推薦] カンザキイオリ - 大人



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翻譯:Zerocks

ある朝あさ目覚めざめると
俺は大人おとなになっていた
声こえも枯かれてシワも増ふえて
目めの下したにクマが出来できている
少すこしばかりの筋肉きんにくと
肩幅も少すこしついたらしい
部屋へやの隅すみに転ころがる靴下くつした
その隣となりで異臭出だすゴミ袋

「あの頃ころは本当ほんとうにごめん」
そう言いってくれた昔むかしのやつら
あの時とき裏切うらぎったのは
あいつじゃなくて
俺おれだったじゃないか
なのになかったことにして
「なあ元気げんきか?」って
何言いってんだよ
癒いえてない傷きずに蓋ふたができるほど
俺おれは大人おとなにはなっちゃいない

俺おれは偏屈へんくつな人間にんげんなのに
上司じょうしはいつでも飯めしを奢おごった
うまそうに飯めしを食くう俺おれを
上司じょうしはいつだって可愛かわいがった
恩返おんがえしをしたい
そう思おもう時ときに限かぎって手遅ておくれだ
恩おんを売うるだけ売うり付つけて
一体いったい何なにで愛あいを伝つたえりゃいい

過すぎ去さったもの全すべてが許ゆるせない
夢ゆめよ早はやく覚さめろ

大人おとなになって分わかった
ことなんて単純たんじゅんだ
夏なつは暑あつくて冬ふゆは寒さむいこと
妄想もうそうだって思おもったこの感情かんじょうの全すべてに
名前なまえがあるということ

死しぬとか生いきるとかそんなことより
明日あしたの飯めしどうしよう
感受性かんじゅせいなんてもの捨すて去さって
今いまは今いまに死しに物狂ものぐるい
休やすみは一人ひとりで風俗ふうぞく行いって
安やすい居酒屋いざかやで吐はくほど飲のんで
会社かいしゃで出来できた仲間なかまと
下しもネタ言いい合あう一いっ週間しゅうかん

あるとき突然とつぜん涙なみだが出でてきて
一いっ歩ぽも前まえに歩あるけなくて
誰だれもが俺おれを心配しんぱいして
慰なぐさめてくれてなんて俺おれは幸しあわせ者ものだ
幸しあわせ者ものだ だから早はやく夢ゆめから覚さめろ

立たち止どまる勇気ゆうきを認みとめない
自分じぶんが心底しんそこ嫌きらいだ

大人おとなになって分わかった
ことなんて単純たんじゅんだ
夢ゆめは叶かなうこと努力どりょくは報むくわれること
一人ひとりは寂さびしいこと
二人ふたりは気きまずいこと
人間にんげんは難むずかしいこと

やっぱりそうだよな
もう二に度どと子供こどもには戻もどれないんだ
大人おとなたちが犯罪はんざいを起おこす
理由りゆうがやっと分わかったよ
苦くるしくて寂さびしい夜よるは
誰だれにだってあるよ

「あの頃ころは本当ほんとうにごめん」
そう言いってくれた昔むかしのやつら
あの時とき裏切うらぎったのは
あいつじゃなくて
俺おれだったじゃないか
でも嬉うれしいよ
だって俺おれはずっとあいつを気きにしてた
大人おとなになるまでずっと
子供こどものままでずっと
シワが出来できるまでずっと
髪かみが痛いたむまでずっと
肌はだが荒あれるまでずっと
息いきが切きれるほどずっと
時間じかんが全すべてを解決かいけつするって
実際じっさいある話はなしなんだな
俺おれは大人おとななんだ だから言いうよ
ごめんなさい 会あいたかったよ

大人おとなになって分わかった
ことなんて単純だ
人ひとは醜みにくくて人ひとは優やさしいこと
心こころの奥おくに眠ねむる憎悪ぞうおが剥はがれ落おちても
何なにも変かわらない

大人おとなになって分わかったんだ
二に度どとは戻もどれないんだ
某天早上睜開雙眼
突然間成為了「大人」*1
聲音變得乾枯,皺紋也漸漸變多
眼瞼下方也開始冒出黑眼圈
稍微長了些肌肉
肩膀也變寬了一點
伴隨在房間角落散落的襪子
以及在旁邊發出異臭的垃圾袋

「那個時候真的很抱歉」
這麼跟我說得以前的友人
那個時候背叛對方的
並不是他
而是我不是嗎!!
即使如此卻當作沒這回事的說著
「最近如何啊」
到底在說什麼啊!
我還沒有成為能夠
將無法癒合的傷口蓋住的大人

明明是個偏執狂的我
上司卻每次都(大方的)請客
總是受著上司照顧得大口吃飯得我
我想報答些什麼
這麼想的時候
卻已經遲了
「賣著人情」「強押人情」
到底該怎麼做才能將愛傳達出去

成為過往的全部,全都無法原諒
快從這夢中醒來吧

成為大人後才理解到
事情其實很單純
就跟夏天很熱,冬天很冷一般理所當然
還以為只是妄想的那份感情*2
其實全都有著名字

比起生或死之類的事情
更在意明天要吃什麼
捨去了感性
拚了命地活在當下*3
休假就一個人去風俗店
再到便宜的居酒屋喝到吐出來
接著是跟公司的夥伴們
說著下流梗的度過一周

突然間眼淚奔湧而出
停下腳步無法向前走
每個人都跑來關心安慰我
我真是個幸福的傢伙啊
太過幸福了 所以..快點從夢中醒來吧

無法承認止住腳步的勇氣*4
發自內心的自我厭惡

成為大人後就能理解到
事情其實很單純
夢想是能實現的,努力也會有回報
一個人會感到寂寞
兩個人會感到尷尬
人生就是個難題

果然如此呢
已經,沒辦法再回到孩童時代了吧
總算是能夠理解
大人們犯罪的理由
不管是誰都會有
寂寞痛苦的夜晚的呀

「那個時候真的很抱歉」
這麼跟我說著的以前的友人
那個時候背叛的
並不是他
而是我不是嗎!!
但是我很高興呀...
因為我一直都很在意
成為大人都一直...
就這樣停留在孩童的一直...
直到長出了皺紋
直到頭髮分岔
直到肌膚龜裂
直到無法呼吸的一直都
時間能夠撫平一切
原來是真的
我已經是個大人了,所以能說出口
「我也很抱歉」「其實我好想見你一面」

成為大人後才理解到
事情其實很單純
人是如此的醜惡,卻也是如此的溫柔
即使沉眠在內心深處的憎惡被剝落
也什麼都不會改變

成為大人就能夠理解到
沒有所謂的「再來一次」*5


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*1 真的是回頭一看才會覺得,某一天自己成為了大人呢
*2 只是妄想的那份感情個人認為是呼應不可解
*3 比較偏向物質面的感覺
*4 慢下腳步回頭消化的意思?
*5 「啊 若是當時這麼做就好了」 :)
-- 一轉眼又是三年半才來PO文新歌都變老歌了 Kanzaki-iori的歌詞真的是滿滿的撕裂感,但是卻又是充滿了對人類的愛 一個不小心就會聽得淚流滿面,這首歌個人最喜歡的部分果然還是 「大人おとなになって分わかった ことなんて単純だ」不論是旋律還是歌詞都深得我心! 總之最近各種事情發生,做點以前可以進入心流的事情吧 !

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